アナウンサーとは、「自身の声により不特定多数に対して情報や指示などを伝達する職業」(参考:wikipedia)である。この定義の通り、本来であれば単なる文字読みマシーンなのである。しかし、大学→就職活動という極めて普通の選択にて就くことができ、タレントやスポーツ選手のようなリスクを取らずに有名になることができるため、いつの時代も一定の就職人気があった。放送内でタレントやスポーツ選手との接点があることで、自身もタレントのように扱われたり、有名人と話をすることで自身も同格と思い込んでしまうなど、自己顕示欲の強い人に多大な人気を博している。「女子アナ」という中身の無いが表面的なブランド力もあり、この称号を目当てにアナウンサーを志望する女性も多い。ただ、注目はされるものの、中身は能力のない一会社員であり、コンサルや総合商社、外資ITで鍛えられている人達と比較するとその市場価値は雲泥の差である。そのことにいち早く気づいてアナウンサーを辞める者もいるが、それは一部の賢い人たちだけである。2020年代に入ってアナウンサーの退職が増えてきているが、それは個人の能力が注目される世情だからである。アナウンサーでは個人の能力が養われないと悟った優秀層が他職種へ流れている。
アナウンサー人気が栄華を極めたのは1990年代から2000年代前半である。他企業に先駆けてテレビ局が採用試験を実施していた時代であり、テレビ局の中でもアナ試験は一番最初であったこともあって、キー局では数千倍の難関試験であった。アナウンサー志望者はキー局だけではなく、準キー局、在名局はもちろん田舎のテレビ局まで全国行脚をしてアナウンサーを受験していたのだ。今でもそうした勢力は存在するが、当時と比較すると圧倒的に少なくなってきている。ちなみに、当時は「テレビ局員になりたい!」という勢力も存在し、アナウンサー職以外でも全国行脚をしていた人たちは多かった。アナウンサーになりたくて就職留年するものも続出した。2留する者はいなかったが、1留することで、3年分のアナウンサー試験を受験してたのだ。これはどういうことかというと、当時のアナ試験の開幕は10月のテレビ朝日であった。例えば、大学3年次に2000年10月にテレビ朝日の試験を受けたとしよう。そこから1年弱かけてアナ試験が各局で行われるが、在名局や比較的栄えている地方のテレビ局は3月までに試験が終了することが多い。とすると、大学4年次の2001年10月から2回目のアナ試験を受け、さらに留年した大学5年次の2002年10月から3回目の試験を受けるのだ。もし合格できれば入社は2004年4月になるため、留年+さらに1年間の猶予ができてしまうが、それでもアナウンサーになりたいとのことであった。なぜこれほどまでにアナウンサーになりたいのかというと、当時のテレビの絶対的な力と、職業のファッション性が影響していたと考えられる。ファッション職業でもお話ししたが、2000年代までは個人の能力は重視されなかった。重視されたのは、「どの会社に所属しているのか、どんな職種なのか」である。アナウンサーは医師や弁護士のように長期的な努力をせずとも就職試験一発でその職業に就くことができ、全国に顔出しできるというファッション性を兼ね備えていたから過剰な人気を博したのだ。
当時のアナ試験の難易度は熾烈を極めた。試験は個人の能力ではなく「見た目」と「運」が重視されたものであった。採用人数が少ないため、キー局で数千倍、地方局でも数百倍を記録した。「とにかくアナになりたい!」者が全国行脚し、採用試験の倍率を釣り上げていった。アナ試験に合格した者は、それが地方局と言えど同級生からは勝ち組扱いされ羨望の眼差しで見られた。当時印象的だったケースは、日経新聞社を蹴って地方の100名に満たない小さな放送局へ行った人であった。結局2年でその局を退職した。また、アナウンサーへのこだわりが非常に強い京都大学卒の女性が結局アナ試験に受からず、これもまた地方の独立U局へ事務員として入社したケースもあった。「アナはダメだけどせめてテレビ局へ」と、京大レベルでもアナバブル思考に毒されていたのだ。結局その方は3年程度でその局を辞め、NHKの契約キャスターを3年程度やって、当然今は普通に会社員である。テレビ局に入らずにコンサルなどでスキルアップしていれば現状はましな人生だったとは思うが、確かに当時のアナ人気に毒されてしまうことも頷ける。
しかし、その数千倍、羨望の先にあったものは単なる文字読みマシーンであった。キー局であればまだましであるが、地方局ともなるとその待遇面が散々なのである。「テレビ局=高給」が通じるのは準キー局迄であり、在名局で上位大学平均、地方局であれば地方の企業と同等の水準なのである。さらに、地方局は人材のレベルも低く、「さくらんぼテレビの“パワハラ地獄”:https://bunshun.jp/articles/-/49386」でも取り上げられているが、こんなことは当たり前に起きる。ある地方局に行った人の話で、「その局の社員は40歳過ぎて地元の暴走族の勢力争いの話を熱心にしていた」ということがあり、コンサルや商社でしのぎを削っている人たちと比較するといささかレベルの落ちるエピソードが満載なのである。
待遇や人材のレベルの低さもあって、最初は「アナになったからやってやるぞ!」と思っていても現実に目を向けたら続くわけがない。薄給でありスキルアップも見込めない職業であるため「続けていて大丈夫なのか」という思いに駆られてしまう。賢い方々は早々に退職して司法試験なり医学部受験なり大学院なりへ方向転換している。
名前 | 所属 | 退職日 | 学歴 | 転職先 |
桝太一 | 日本テレビ | 2022年3月 | 東京大学大学院農学生命科学研究科 | 同志社大学ハリス理化学研究所 |
篠原光 | 日本テレビ | 2023年3月 | 明治大学政治経済学部 | eスポーツ関連の仕事 |
富川悠太 | テレビ朝日 | 2022年3月 | 横浜国立大学教育学部 | トヨタ自動車 |
国山ハセン | TBS | 2022年12月 | 中央大学商学部 | 映像プロデューサー |
大木優紀 | テレビ朝日 | 2021年12月 | 慶應義塾大学経済学部 | 旅行代理店 |
原田修佑 | テレビ東京 | 2022年3月 | 法政大学文学部 | |
磯貝初奈 | 中京テレビ | 2022年3月 | 東京大学工学部社会基盤学科 | 東京大学大学院 |
表:近年の退職アナと転職先
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