概要 †
- 小学校
設置 | 国 |
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創立 | 1900年 |
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男女 | 共学 |
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所在地 | 大阪府大阪市平野区流町1丁目6番41号 |
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学費 | - |
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HP | こちら |
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- 入試
募集 | 105名(付属幼稚園60名含む) |
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出願 | 12月下旬 |
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試験 | 1月中旬 |
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抽選 | なし |
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科目 | 筆記、行動観察、実技、面接型の試問 |
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解説 †
- 大阪教育大学付属3校のうちの一校である。
- 附属平野小学校から附属平野中学校に進学するのは3分の2ぐらい。残り3分の1のうち成績トップ層は中学受験で灘、星光、西大和等々のトップ校と呼ばれる学校を受験する。附属平野が合わない層及び成績下位層が、他の私立中学校に受験をして進学する。
- 平野は幼稚園があるが、毎年ほぼ全員が小学校に上がる。
沿革 †
- 1900年4月1日 - 大阪府女子師範学校附属小学校として、大阪市南区(現・天王寺区)で開校。
- 1927年3月 - 現在地に移転。
- 1932年 - 制服を制定。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪府女子師範学校附属国民学校と改称。
- 1943年4月1日 - 官立へ移管。大阪第一師範学校女子部附属国民学校と改称。
- 1944年9月17日 - 初等科児童、南河内郡川上村へ集団疎開。観心寺に楠郷国民学校(分教場)を設置。
- 1945年5月17日 - 高等科児童の勤労動員始まる(同年8月16日まで)。
- 1945年10月22日 - 集団疎開先から引き上げ。楠郷国民学校を閉鎖。
- 1945年11月10日 - 学校再開。
- 1947年4月1日 - 学制改革により大阪第一師範学校女子部附属小学校と改称。
- 1949年7月30日 - 新制大阪学芸大学の設置により、大阪学芸大学第一師範学校平野附属小学校と改称。
- 1951年4月1日 - 旧制師範学校が新制大学へと完全移行したことに伴い、大阪学芸大学附属平野小学校と改称。
- 1961年 - 特殊学級を設置。
- 1966年 - 特殊学級が大阪学芸大学附属養護学校として独立。
- 1967年6月1日 - 大学の名称変更により、大阪教育大学附属平野小学校と改称。
- 1973年4月1日 - 大阪教育大学教育学部附属平野小学校と改称。
- 1977年5月 - 小学校専用のプール竣工(従来は高校・中学校・幼稚園と1つのプールを共用)。
- 2004年4月1日 - 大学の独立行政法人化により、現校名となる。
出典:Wikipedia
入試 †
- およそ45名の外部募集枠に対して130名程度が申し込む
- 抽選はなくなった。
小学校生活 †
- 平野とは言え、通塾率も高く、中学受験もかなり多いので、内部進学は半分ほどになる。
- 平野は附属小系列で一番宿題が多い学校
- 附属幼稚園からの人が半分以上なので、平野周辺に在住の方が多い。
- 学校からの課題も難易度は高いとは言え、受験には必要ないものも多く、テストでは文字が少しでも汚いと答えは合っていてもバツを貰う。
- 宿題がすごく多い学校
- 漢字ノート
- 計算ドリル
- 自由ノート(日記 学年が上がると原稿用紙1枚弱にもなる)
- 課題ノート(昼にまとめたノートを更に夜まとめる)
- 日記に関しては、休み関係なく毎日。課題ノートもほぼ毎日出る。
- 附属幼稚園は、園内はスマホ等出すのも禁止、寄り道はは絶対ダメ。
コメント †
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