概要 †
- 小学校
設置 | 国 |
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創立 | 1873年 |
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男女 | 共学 |
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所在地 | 長野県長野市大字南堀77番地1 |
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学費 | - |
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学年 | 70名 |
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HP | こちら |
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- 入試
募集 | 70名(付属幼稚園含む) |
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出願 | 6月中旬 |
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試験日 | 7月中旬 |
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抽選 | あり |
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科目 | 知能検査、身体機能検査、集団行動観察 |
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解説 †
沿革 †
- 1873年5月 - 筑摩県師範講習所を松本開智小学校内に開設。
- 1873年8月 - 長野県師範講習所を長野東之門宝林寺念仏堂に開設。
- 1880年3月 - 師範生徒小学実地授業のため、本校は長野小学校を、松本支校は開智小学校を附属小学校に代用する。
- 1881年9月 - 長野県師範学校を松本から上水内郡長野町に移し、長野県尋常師範学校と改称。
- 1882年12月17日 - 長野県尋常師範学校附属小学校創立。
- 1898年4月 - 長野県師範学校附属小学校と改称。
- 1911年9月 - 元市役所西側に新校舎落成し移転。
- 1917年4月 - 研究学級2学級を置く。
- 1937年3月 - 研究学級を廃止。
- 1941年4月 - 長野県師範学校附属国民学校と校名を変更。
- 1942年4月 - 文部省移管となり、官立長野師範学校男子部附属国民学校と改称。
- 1947年 - 学制改革で、初等科を長野師範学校男子部附属小学校と改称し、高等科を母体に長野師範学校男子部附属中学校を開設。
- 1949年4月1日 - 信州大学設置に伴い、信州大学長野師範学校長野附属小学校と改称。
- 1951年4月1日 - 師範学校廃校に伴い、信州大学教育学部附属長野小学校と改称。
- 1966年4月1日 - 特殊学級校舎が落成し、特殊学級を開級。
- 1975年4月1日 - 養護学級(北校舎)が信州大学教育学部附属長野養護学校として独立。
出典:Wikipedia
入試 †
- 一般的な国立小学校と比較すると試験時期が早い。
- 願書提出時に親に対しての簡単な面接がある。志望動機、学校見学をした事があるか、あるならその時の子どもの様子は?など
- 第1次選考において就学適正と判断した者が定員を上回る場合に抽選を行う。ただし,附属学校としての使命及び兄弟関係等の教育的な配慮に基づいて選考した就学適正者は,抽選を行わずに入学予定者とする。
- 兄姉が附属小在校生なら、一次試験にパスすればそのまま合格、そうでない子は抽選に進む。
- 子どもは一次試験で数人で1つのグループに分けられ、先生に連れられて試験を受けに行く。そこで面接、集団行動、ペーパーと一通りやるみたい。その間、親は別室で待機。
- 学力面の特別な対策は必要ない。
小学校生活 †
- 自校で給食を提供している。
- 放課後預かりはない。長野市の場合、預かりは小学校に隣接する児童センターで行われており、これは市が運営し、学校とは別組織。市立の小学校に在籍していなくても利用可なので、こちらを利用されている家庭が多い。
- 公立小)と比べると座学の時間は少な目の印象。特に低学年の生活科は自然体験園で過ごしたり、動物のお世話をしたりと屋外での活動が多くある。
- 5年生で戸隠登山その後キャンプ場で一泊。
- 6年生で新潟県の谷浜へ2泊3日(海で遠泳)。
- 修学旅行は日帰りで東京見学。
- PTA活動:何も役についていなければ年二回の草取り、年一回の登下校指導が全員参加。また、仕事別に4つ部があり全員がいずれかに所属するので、部内の仕事が各自の都合に合わせて割り振られる。クラス代表・副代表は参観後の学級PTAの進行や学校全体の会議(年4、5回)への出席、懇親会の幹事などの仕事が加わる。学校全体の各部の部長・副部長は上記会議への出席と部の統括が加わる。
コメント †
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